rururu☆

思いつくまま 気持ちを記録。。

最近思ったこと

そういえば、思っていたことがあった。
最近はめっきり物騒になって、何かに憤って刃物を持った人とたまたま出くわしただけで命を落としかねない世の中。(先日、その‘たまたま’の中にも選択はありうる…と言う様な事は書きましたが)そういう事件報道の時、加害者が未成年だろうと成人した人であろうと、遅かれ早かれ必ずといっていいほどマスコミの眼にさらされ「謝罪」会見をする、加害者の両親。その光景を見聞きした人から、これも必ずといっていいほど聞かれる(加害者が成人の場合)、「もう、加害者は成人しているのだから…(親は関係ないでしょ)」というコメント。
私もそう思っていたし、加害者の事情聴取の中でよく聞かれる「親が話を聞いてくれなかった」「会社をくびになりそう(…思い込みの場合も)」など、○○のせいでこの事件を起こした…という話に、「人のせいにするのも甚だしい」と憤りを覚えるものですが。
確かに成人しているけれど。
でも、彼らのバックグラウンドに「謝罪会見」をした両親がいる、という事実は生涯変わらないことだし、一生その影響を、大なり小なり受け続けることには変わりはない。成人したからといってその両親とその加害者との関係がぷっつりと途絶えることはないのだから…と、アダルトチュルドレンの本を読んで思った。
だからといって公衆の面前に成人後の加害者の両親が晒される事を‘よし’とする理由にはならないのだけれど、その人(子供)が犯した罪・その十字架はその両親も共に一生背負っていく、と言う気持ちが必要なのではないか、と言う気がする。
子供の頃、一番多くの時間を過ごすのは家庭(家)だろうし、そこからの影響が大きいものであると言う事はいうまでもないこと…そこで受けた影響を抱きかかえたまま大人になったところに問題を解く鍵が隠されてはいないだろうか。
20〜30代の男性…この年齢が事件を起こす頻度とか、その年齢の親の年齢やその人たちが育った環境とか…
一見不可解な無差別殺人事件も、その事件を引き起こした本人だけに原因があるのではなく、ことは大抵の場合十重つなぎに繋がっているのではないかな…しかも、全てのケースにおいて、全て事情が違っている事だと思うのです。