rururu☆

思いつくまま 気持ちを記録。。

自分が知らない所で…

今日朝からチェックした記事。

  • 昨年10月にイランで麻薬密輸団に誘拐された横浜国立大の男性が無事開放された。
  • 星出さんがシャトルより無事帰還。
  • 宮崎県でTV生中継中に、そのイベントに参加していたアナウンサーが負傷(重傷と思われる)。
  • 60代自転車ドロボー…捕まえたら、死亡したことになっていた…(34年前に家出、家族の裁判所への失踪宣言申し出受理により)
  • 無差別殺傷事件関連。


昨日は仙台・宮城で大きな地震があり、夜のニュースはその関連の報道で持ちきりでした。地形が変わるほどの大きな内陸型地震の様で、行方不明の方の救済は終わったのか、被災地での方々のこれからの暮らしは、災害の復旧は…行政の対応が急がれ、また抜かりない対応をと願うばかりです。


地震が起きる前は国会での首相への問責決議案可決、例の殺傷事件関連が大きく報道されていたように思うのですが、違うところに眼を向けてみると、当たり前ですがいろいろな所でいろいろなドラマがある。


特に上記2つの‘無事開放’と‘無事帰還’は最近無常に人の命が失われる事件が多く報道されていただけになんだかほっとできる喜ばしい記事だった。反対に、負傷されたアナウンサーの方についてはこれからの生活の復帰について、とても心配になる記事でもあった。


少し前にお昼休み中に、中国で大きな地震があり連日その報道で持ちきりだった頃「最近中国の地震関連ニュースばっかりだね。他に事件がないから?…これも何か大きな事件が起きたらその報道に切り替わるんだろうねぇ」と言っていた人がいた。
四川大地震は日本のことじゃないし、‘地震が起きた’と言う事実さえ分かればそれ以上にあまり興味はない。でも毎日これが報道されていると言う事は他に事件ってないのよね、きっと。…そんな意味の発言なのでしょうが。(でも、実は‘事件がないとつまらないなぁ’みたいな不謹慎さも見え隠れしているようで、聞いていていい気分はしなかった)
でも、ニュースの時間ってそんなものでもある。時間の枠が決められている中で伝えられる報道の数は限られる…じゃあ今日は何をトップに持ってきて今日はいくつの記事を伝えるか。
見る側はその順番で報道の重要度を判断してしまう、報道担当者が今日準備した記事の中でその選に漏れた記事の内容を知らない…人によってはその選に漏れた記事のほうにより興味を示す内容があったかもしれないのだけれど。
自分の行動範囲なんて本当にちっぽけなものだから、自分の行動範囲外の出来事は自然ニュース番組、新聞、ネットニュースetcで知っていくものだけれど、どんな場面でも記事を取り上げるスペースには限りがあるし、取り上げる作業を行なう人の感覚にも左右されるもの。たとえきちんと読めば自分に興味深い記事であったとしてもそれに巡り会うチャンスがない事だってあるだろう。
今の時代、たくさんの報道の渦に巻き込まれて情報過多といわれているけれど、考え方によってはこんな時代でも偏った情報しか巡り会わなければ、または人から差し出される情報だけを全てと思い込んでいるとしたら、井の中の蛙と指して変わらない状態なのかもしれないな、と思う。


同じ種類の報道が連日で、「これは他に事件が起きていないこと」と思うのは多分勘違いで、毎日どこかで何かが起きていて、悲しい事、喜ばしい事にあふれている。往々にして大きく報道させる事件とは悲しい事件が多いような気がするけれど、私は大きく報道されなくても「無事だった」というニュースをたくさん見ていたいと思う。