rururu☆

思いつくまま 気持ちを記録。。

母の手

あるアイドルのアルバムに収録されていた曲「ギフト」という曲は、母への愛情と感謝を綴った曲なのだけれど、思い返して私は母にこのような気持ちを抱いた事が、多分ない。時がどれだけ経ったのかわからないほど長い間手を握ってもらったことはないし、だから私はそういう人の手の温かさから来る安心感を実感した事もない。自分の痛みを我がもののようにそれを共有してもらった記憶もない。

結局幼い時期に母親から受けておかなければならない愛情が欠落している事とは、その後の性格に受ける影響は小さくないと自分に当てはめてみて強く思う。その事は自分自身では最近になって気付いたけれど、当の親たちは未だにそれを自覚していない。

そして最近すごく思うようになっているんだけれど、子供の世話をすることと子育てとは違う。私は4歳で母と死別し、それから今に至るまで継母なくしてここまで生きてこられなかっただろうし、そのこと自体は感謝すべきである事に間違いないのだけれど、継母が彼女でなかったら、私という人は、きっと今とは全く別の人になっていたんだろうな。。と、育てられる人から受ける影響の大きさを思う。私が今になって感じている事は、私は継母に「世話をしてもらった」ということだ。

私には姉がいて彼女も又継母から私と同様の影響を受けているとは思うけれど、4歳上の姉にはわずかながら実母との触れ合いの記憶があり、継母とも、私にはなかったけれど実際父と継母と3人で暮らした時期があった。。らしいので、そういう微妙な違いがその後の成長に影響されたのかな。。姉はちゃんと結婚しつい先日姉の子は結婚した、先にお腹に子を宿した状態で。つまり姉は子供の結婚を見届けるのと同時にもう既におばあちゃんになったということ。

姉は着実に女として登っていくべき階段をひとつずつ登って行っているんだな。。と思った。それを思う時、ある時無性に天国の母に報告したくなった。「ママ、すごいね、お姉ちゃんがおばあちゃんになったんだよ。ママがひいばあちゃんになったんだよ」って。母親として、自分の娘の娘が子供を産むって。。こんな幸せはないんじゃないかなと思った。実母にとって、娘の子の結婚はほぼ完全なる子育ての終結であり、新しい命によって母の遺伝子は着実に受け継がれている。この場に母がいてそれを共に祝福できない事が本当に寂しいのだけれど。

継母に育てられること自体そんなに珍しい事じゃない。

誰かにそう言われた事があるけれど(言った本人には実母が現存しているけれど)、そういう人生を歩むことで本人が受ける影響とは本人にしかわからない。経験していない人が軽々しく言うものではないと言う事は、どんな場面でも当てはまる事だなと強く思う。